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新快速

 投稿者:はりやん@管理人  投稿日:2016年 1月15日(金)22時56分44秒
  林 俊宏 様

113系新快速に初めて乗った時は夏場でしたが、冷房が新鮮でした。和歌山在住の強み?で何度となく乗りましたけど、なぜか個人的には旧型車の方が落ちつきました。あの鉄道ファンが発売された頃が、阪和線が車両的に一番面白かったと思います。
 
 

阪和線の画期的な出来事

 投稿者:林 俊宏  投稿日:2016年 1月11日(月)02時22分9秒
編集済
  はりやん@管理人様

こんばんは。度々お騒がせ致しましてすみません。話しが前後してしまいますが、1968年(昭和43年)「よん・さん・とお」に、103系の新車6連×4本が鳳に新製投入された点と先般に書き込みさせて頂きました113系新快速ですが、153系等の急行型に非冷房車が存在していた当時の国鉄で1972年(昭和47年)3月から運転されました113系「冷房車」新快速の6連×3本の投入は、通勤型・近郊型の冷房車がまだ試作段階で大変貴重な存在でしたので、この点も画期的な出来事と申し上げても過言ではないかと存知ます。そして「新快速」のヘッドマークも阪和線の看板列車を表現しておりますね。


 

往時の阪和線

 投稿者:はりやん@管理人  投稿日:2016年 1月 9日(土)01時57分9秒
  林 俊宏 様

こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。

正月休みに実家に帰り、件の鉄道ファン11月号を引っ張り出してきました。当時の旧型区間快速でも天王寺~和歌山は75分だったようで、今の紀州路快速(日根野以南各駅停車)と5分くらいしか変わりません。新快速の45分運転は画期的でした。

朝ラッシュなど、旧型の快速が103系の普通を追いぬくなんて光景も普通に見られたことでしょう。また拍子になるような赤帯113系の普通も見てみたかったものです。

快速の停車駅増加は、そのまま阪和線沿線が住宅開発されて沿線住民が増えたということの裏返しでもあると言えます。そして今や快速は8両というのが定着しています。このあたり、ダイヤや編成の変遷が、阪和線沿線の変化とリンクしていると言えます。
 

113系新快速

 投稿者:林 俊宏  投稿日:2016年 1月 6日(水)01時06分20秒
  はりやん@管理人様

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

1975年(昭和50年)当時の貴重なお話を大変興味深く拝見させて頂いております。(私ばかりが貴殿の掲示板を独占しておりますので、この点が大変心苦しいものがございます)

阪和線の新快速ですが、天王寺ー和歌山間の途中鳳のみの停車(晩年は熊取、和泉砂川停車)で、俊足を誇っていたと思われますが、小生も一度乗車してみかたった魅力の列車でした。現在は関空快速と併結が多く、停車駅も日根野以南は各駅となり、和歌山までの列車が多いと思われますし、また、日根野以南快速の停車駅も紀伊・六十谷と増加しておりますね。阪和線のダイヤの推移を見てゆくのも、大変興味が沸くところです。
 

Re続・鉄道ファン75年11月号

 投稿者:はりやん@管理人  投稿日:2015年12月22日(火)23時29分20秒
  林俊宏 様

あの頃(昭和50年頃)は、まだまだ旧型が幅を利かせてました。趣味的には楽しかったですけど、冬場の隙間風等、利用客にとっては並行する南海電鉄と比べても明らかに見劣りしていたものです。

当時は車庫が鳳にあった関係で、どうしても鳳発着となる列車が多かったですね。東岸和田折り返しの他和泉府中折り返しもありました。区間運転の普通は6連が多く、和歌山までの区間快速よりも早く103系に置き換えられたように記憶しています。

ご丁寧に挨拶いただき恐縮です。林様におかれましても、よいお年をお迎えください。また来年もよろしくお願いします。
 

続・鉄道ファン75年11月号

 投稿者:林 俊宏  投稿日:2015年12月20日(日)17時19分26秒
編集済
  はりやん@管理人様

こんばんは。レスの件はお気になさらないで頂ければ幸いです。

75年11月号の鉄道ファンの巻末に添付されている、昭和50年3月ダイヤ改正時の阪和線のダイヤグラムを改めて追ってみましたが、こうした誌面構成は、ファンにとりまして、嬉しいサービスを申し上げても過言ではないかと存知ます。

そして、詳細にダイヤを見ますと、朝のラッシュ時は天王寺ー鳳間は、過密ダイヤとなっており、昼間の普通は東岸和田折り返しの普通運用が目立ちますね。

また、2015年も残り僅かとなりましたが、来る2016年からは、新型車の投入により103系が追われる立場となりますが、最後の活躍している姿を是非とも記録したいと思案しております。

末筆ながら、貴殿のHPに突然不躾にお邪魔させて頂いたにも関わらず、心よく返信を頂戴して頂きまして、改めて御礼申し上げますと共に少し早いですが、どうかよいお年をお迎え下さいませ。また、来る年も何卒よろしくお願い申し上げます。有難うございました。
 

昭和50年頃の阪和線

 投稿者:はりやん@管理人  投稿日:2015年12月 3日(木)21時10分43秒
  林 俊宏様

こんばんは。レスが遅くなりましてすみません。

鉄道ファンの75年11月号は私も持っています。あれは阪和線になじんでいる人間にとっては絶対に「買い」でしたね。当時中学1年だった私には衝撃的でさえありました。

103系の冷房改造時の細部については存じ上げませんが、正面の幕が冷房車と非冷房車で異なっていたのを覚えています。

 

鉄道ファン1975年11月号と103系冷房改造車の誕生

 投稿者:林 俊宏  投稿日:2015年11月24日(火)00時55分48秒
  はりやん@管理人様 こんばんは。

個人的なことになりまして大変恐縮ですが、表題の鉄道ファン1975年11月号を拝見しまして阪和線を走る当時のラインナップと、小生、103系が特に幼少の頃から好きでしたので、ウグイスに黄色5号の帯と1968年(昭和43年)に新製投入されたスカイブルーの103系が天王寺駅で共演している姿と共に表題の趣味誌は阪和線との出会いであり、一生涯忘れることの出来ない大切な宝物です。

また、1975年(昭和50年)から103系の冷房改造が施工され、Tc103-117~118、Tc103-15~16が冷房改造されたと記憶しておりますが、前面ダクトを塞いだTc103と塞いだTc103と、翌年、1976年(昭和51年)から走り始めたMc103は冷房改造車が富士重工鶴田で冷房改造され、天井化粧板を交換したタイプと近畿車両で冷房改造された車両は、天井化粧板を交換しないタイプをはじめ、改造時に差異があるのも大変興味深かったですし、国鉄時代は妻面に温度計が設置されていたと思われます。
 

阪和線の新性能化の頃

 投稿者:はりやん@管理人  投稿日:2015年11月17日(火)01時57分42秒
  林 俊宏様

クモハ103が投入された当時は珍しくて、クモハ組み込みの編成に当たったらうれしかったです。羽衣線の3連も旧型から置き換えられましたが、それ用に投入された編成が複数あって、たまに3+3の6連で本線を走っていたことを覚えています。

阪和線から旧型が引退した時は、一つの時代が終わったという感がありました。113の赤帯車は、けっこうな頻度で阪和線でも見ることができました。
 

クモハ103

 投稿者:林 俊宏  投稿日:2015年11月16日(月)02時58分31秒
  はりやん@管理人様 こんばんは。

1976年(昭和51年)11月15日からと記憶しておりますが、日根野以南の山中渓をはじめとした、和歌山までの阪和線全線での6連化に伴い、同日からクモハ103、サハ103、クハ103-500番台を含めた6両編成が走り出し、両端クハ103編成とは異なった編成が当時の鉄道ピクトリアルのトピックフォトらんに掲載されていたのが鮮明に思い出されます。

そして、70系300番台の6連やオレンジの旧国と70系との混結編成となったものの、1977年(昭和52年)4月14日に旧国が引退し、103系と113系が主流になりましたね。また、青帯編成の代走で赤帯車の運用されている姿を趣味誌で拝見致しました。
 

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