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久々に

 投稿者:空世  投稿日:2015年 1月 5日(月)23時20分41秒
  此処にも殆んど訪れることがなかった。久々に絵に対する思いが湧き上がってきたので、やっと何か書ける気がする。歳も取ったから、周りに亡くなる人もあるのは当たり前だけれども、人が死んだ後から事を始めるのは何とも辛い。これはいろんな意味で言っているのだけれども。1つは文の如く人が死んで初めて気が付くというような意味である。もう一つは事績を残した人々から考えると、もうとっくに事績を残してもいい年ではあるが、今から始めなければならないのは、何とも辛いというような意味だ。遅くとも、今という時が重要であることはどのタイミングでも同じだから、気が付いたところから始める以外に方法がない。しかも私がいるのは「今」だから常に始まりで、常に出発である。また、何度目かの出発である。



 
 

初めての書き込みです

 投稿者:熊谷修  投稿日:2013年 6月 3日(月)23時02分30秒
  久々の個展楽しみです。
現在を遡っての旧作から受賞後の力感溢れる新作など円熟期に突入した感のあるダイナミックな空是宇宙に期待します。
よろしく
 

久々に個展をします。

 投稿者:空世  投稿日:2013年 5月 8日(水)21時34分53秒
  2013年 6月12日~6月16日の5日間 岩手県盛岡市盛岡駅西通2丁目9-1マリオス盛岡市民文化ホール 展示ホール(4F)で第84回新構造展での受賞記念の梅沢空世絵画展をすることになった。自選によるこれまでの主な作品、軌跡となる作品を展示します。
時間は10:00AM~5:00PM (ただし初日は12:00から)
 

今居る場所を

 投稿者:空世  投稿日:2010年 6月27日(日)01時08分21秒
  今居る場所を最高の場所にするのが、人生の目的であり、到達点であるように思う。これこそが、時間の無駄を無くす最高の方法でもある。こんな事に気が付くまで、何年経った事か。  

友達に

 投稿者:空世  投稿日:2009年 4月 4日(土)01時18分23秒
  友達に、何事も「セイム」ではないか、と言うひとがいる。その通りだと思う。ちょっと有名になったり、地位が上がったり、金持ちになったり、何かで成功したとか、何かで賞をもらったとか、そのことで何かが変わったということはない。朝起きてからすることの大半は皆同じである。唯、仕事によっては、有名でなければできない、地位がないとできない、あるていどの金持ちでないとできない、賞があったほうがよいと言う「仕事」がある。それは生きるための方便であってもかならず必要だというものではない。それらに関係しない仕事もある。というよりそんなことには全く関係ない仕事のほうが多い。そうしたものは鎧とおなじく服のようなもので、脱いでしまえば皆同じであるように思う。人はだまされやすくてどうしようもないものである。服を見てその人だと思ってしまう傾向があるらしい。人は見かけや格好でないことは誰もが知っている。ところが社会に出るとそれが一番だという。社会に出ると方便が正論のように罷り通って人を差別する。だから、よくよく世の動きを見て本質が何処にあって、方便がどう働いているのかと見なくてはほんとうのところは解らないのである。水戸黄門の「印籠」は方便であっての本質ではないのである。あれは法律のような変な約束なのである。必要悪のようなものである。野性の馬を飼いならすには檻が必要であるし、手綱が必要になる。また、主人(権威)も必要になる。本質ではないけれど。野放図な馬(人)を飼いならすのに長い年月と知恵が本質が見えなくなるほどぐるぐる巻きして、社会と言う、子供なら気がつく、矛盾をはらんだ世界を築いて来たのである。だから、誰も楽をして生きてはいないし、苦も無く生きてはいない。人は社会の中でなんらかの鎧や兜を得ようと戦っているのである。それが本質的なものでなくても。平安はなかなかやってこない。けれど、解ってしまえば皆「セイム」(同じ)である。  

何事も

 投稿者:空世  投稿日:2009年 3月 4日(水)00時23分17秒
  何事も一歩づつしか進まない。時期を待てと言っても、いつまで待てば良いというのか?と、思っていると突然に開けるときもある。それも、出発点でしかないのであるが。最近「現代日本の~」とか、いろいろ取り上げられるようになった。歳かな!とも思ったりして。それでも、全然取り上げられないよりましかとも思ったりしている。何事も出発点でしかない。それが、良くても、悪くても、また不運でも、幸運であっても、時間は平等に過ぎてゆくからおちおちできない。己に与えられた時間は刻々と過ぎていく。タイムリーに行動していかないと後悔だけになる。それも、誰もが願うことであれば、独り善がりに喜んでばかりもいられない。常に負の力もそこには働くからだ。特に島国根性のなかでは。けれども、正の力も加わるときがある。何事も用心したほうが良い。平常心、これ道。ままよー!雉も鳴かずば・・・!と、言っても出ない訳にはいかない。そこが苦しいところである。矛盾だ。叩かれ強くならないと!いやはや!  

焦らないこと

 投稿者:空世  投稿日:2007年 7月21日(土)00時23分43秒
  焦らないこと、と言うのはなかなか若者にとっては難しいことだ。と言いつつも、今の自分も焦らないと言うことは難しい。直ぐに結果を出そうとする傾向がある。けれども、時には時間というものが、契機となって生まれて来るものがある。時間と言う土壌の中で、自ずと解るもの、見えるものがあるように思う。けれども、全て解ったら、優れた芸術を生み出すことが出来るかと言うと、そうではない。少なくとも昔の人は、今ほどの情報量の環境に生きていたとは思えないけれど、すぐれた作品を創ってきた。それは、その時に、人と、物と、自然と、情報と向き合って真剣に戦って来た結果であるからだ。けれども、問題が大きければ、その時に答えが出るとは限らない。また、芸術が学習発表でないことは、知っている人は知っている。だから、多く学んだらすぐれたものを生み出せるとは限らない。学士さまなら、すばらしい芸術を生み出せるだろうと言うことがないのが現実である。それと、日本人の特技にお稽古事が好きなこと、家元制度や、権威に弱いこと(黄門様が好きなこと)、カラオケが好きなことなど、芸術にとっては馴染めないことが、普段の生活に生きずいていることだ。そんな中でも芸術を生み出してきた人々は、それに、反発して、オリジナリティーを追求したことである。それは、一挙には解決しない。焦らないことだ。  

絵画とは

 投稿者:空世  投稿日:2007年 6月14日(木)01時32分40秒
  それは事件だ。そう!事件の事かもしれないと思うときがある。
それは、前触れもなく、突然やってくる。時にはそれに占領されることさえある。そして事件だ。
そう、誰もが事件だとばかりに、勝手な絵を描く。誰も、手本になるような作品を見つけることが
できないから、自由気ままな絵を描く。誰もが一番だ。甲乙をつけることなどばからしい。そして誰も絵を描くことに反対するものなどないから、もう、やりたい放題だ。誰も止めはしない。
かってに描けば良いのだ。一切が自由だ。自分という殻以外は自由だ。むやみやたらと吐き出して
ゴミのように捨てられる運命とも知らずにだ。そんな環境でも希望を抱けと言うのだ。
人を見ても始まらぬ。自分だけでもだめだ。中から出て来い言う他はないのか。才能だといえばわかり易い。でも、行動あるのみだ。下手な鉄砲ということもある。ただもう「描く以外にない」ということになる。宇宙船地球号は猛スピードで太陽の周りを回っているらしい。限られた時間のことだ。手を拱いている時間などない。どんな運かは知らないけれど、運にかかっているらしい。
良し悪しは他人が決めることなどと嘯いても、本当の自分が自分の作品の最初の見者であることは
確かであるから、自分が一番知っているとも言える。だから、知らないのだというのも確かである。全てはひっくり返る。どんなに上手く描いても、下手に描いても役にはたたぬ。自己満足だと言えばそれだけのことだ。それも良し。真面目が良いなどとはいえないし、不真面目が良いとも言えない。振り回されないことだ。好きに描けばよいのだ。もしかしたら良い事もあるかもしれない。当人にしてみれば、描かずにはおれない「何か」なのだから。
 

久々に

 投稿者:空世  投稿日:2007年 5月29日(火)00時26分28秒
  最近の自分の気持ちから言うと、物言えば唇さむし・・・・というような感情がどこかにある。
画家としては、作品が全てを語っていなければ、というような思いがそうさせているのかも。まだまだ、自分の姿を現しつくしてはいないというような、不完全な想い、まだ、自分はこうではないと言うような。でも現実は取り返しがつかないから、そのままの状態で是認されていく。自分の感情とは程遠いと言わざるおえない。どこか、不条理感の中でこんなはずではないというような、違和感の中にいる。けれども、ここまで生きてみて解ったことは、全ては限界の中でどれだけ自由でいられるかということだ。全ては限界の中にある。一即多と言ってみたところで、限界の中での事だ。少なくとも、時間とか、空間とか、次元とか、色とか。芸術には不満の山だし。満足など、何処にもない。あるのは、食欲のような渇きだけである。それがなくては、生きられない。不満こそ大切な要素。欠落こそ大事にすべきものだということだ。満足が大切なのではない。かえってその反対なのだ。人は満足することを知らないから生きられるのだ。そのように、普通であれば、出来ている。完成も完全もない。言葉にはあっても、現実にはない。あるとすれば、そのままということだ。一時的に。それも、瞬時に変化する。だから、生きられる。そして、結論は旅の恥は掻き捨てだーということになる。全ては一瞬のことだ。こころして生きよというこだ。なぜなら、不完全なものを巻き散らかさずには生きられないからだ。どうしてって、それは、完成も完全もないからだ。それが出来るとしたら、時間を止めることが出来たら、変化しない完全固定のものが出来たら、相対のない世界なら。一切が存在しないなら。そんなところはどこにもない。しょうがないから、せいぜいこころわくわくするところに向かって生きていくばかりだ。
 

(無題)

 投稿者:通りすがりマスが  投稿日:2006年10月28日(土)23時40分26秒
  あらま~そうでしたか。。。
残念です!こんごあの風な絵をほしいですね、、、、ざんねんでした!
 

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