teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]
あなたも高機能な無料レンタル掲示板を作りませんか?
作成は、こちらから→


新着順:5/103 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

友達に

 投稿者:空世  投稿日:2009年 4月 4日(土)01時18分23秒
  通報
  友達に、何事も「セイム」ではないか、と言うひとがいる。その通りだと思う。ちょっと有名になったり、地位が上がったり、金持ちになったり、何かで成功したとか、何かで賞をもらったとか、そのことで何かが変わったということはない。朝起きてからすることの大半は皆同じである。唯、仕事によっては、有名でなければできない、地位がないとできない、あるていどの金持ちでないとできない、賞があったほうがよいと言う「仕事」がある。それは生きるための方便であってもかならず必要だというものではない。それらに関係しない仕事もある。というよりそんなことには全く関係ない仕事のほうが多い。そうしたものは鎧とおなじく服のようなもので、脱いでしまえば皆同じであるように思う。人はだまされやすくてどうしようもないものである。服を見てその人だと思ってしまう傾向があるらしい。人は見かけや格好でないことは誰もが知っている。ところが社会に出るとそれが一番だという。社会に出ると方便が正論のように罷り通って人を差別する。だから、よくよく世の動きを見て本質が何処にあって、方便がどう働いているのかと見なくてはほんとうのところは解らないのである。水戸黄門の「印籠」は方便であっての本質ではないのである。あれは法律のような変な約束なのである。必要悪のようなものである。野性の馬を飼いならすには檻が必要であるし、手綱が必要になる。また、主人(権威)も必要になる。本質ではないけれど。野放図な馬(人)を飼いならすのに長い年月と知恵が本質が見えなくなるほどぐるぐる巻きして、社会と言う、子供なら気がつく、矛盾をはらんだ世界を築いて来たのである。だから、誰も楽をして生きてはいないし、苦も無く生きてはいない。人は社会の中でなんらかの鎧や兜を得ようと戦っているのである。それが本質的なものでなくても。平安はなかなかやってこない。けれど、解ってしまえば皆「セイム」(同じ)である。  
 
》記事一覧表示

新着順:5/103 《前のページ | 次のページ》
/103